老子小話 VOL 1028 (2020.07.25配信)

さみだれのうつほばしらや老が耳 

(蕪村)

 

梅雨がなかなか明けないので、蕪村の句を選びました。

毎朝、布団の中で雨音を聞きます。

今日も雨か、と雨戸を開けると雨は降っておらず、

幻聴であったことに気づきます。

雨音は屋根か雨戸に打ち付けるような音で、さーっと

いう音が連続するホワイトノイズです。

蕪村もこのノイズを聞いたんだろうなとつい思って

しまいました。

俳句でも小説でも、作者の感動を共有できることが

面白さのひとつと言えます。

若いときにこの句を見ても、素通りしたでしょう。

さみだれは旧暦の5月の雨で、梅雨を表わします。

うつほばしらは、うつおばしら(空柱)ともいい、

真ん中がうつろ(空洞)になった柱です。

空洞は雨水を通すために空けています。

京都御所の清涼殿殿上の間の南にあるそうです。

老人の耳には、梅雨の雨水がうつほばしらを

流れる音が常に流れている。

パイプ状の柱を流れる雨音と、屋根をたたく雨音とは

違うかもしれませんが、実際にはないものが聞こえる

点では同じです。

普通は、聴覚器官を通して脳に電気信号が入力されて、

音が聞こえたと判断されますが、幻聴は信号なしに

音が聞こえたと判断します。

音はささやかな音です。

聴覚検査のときも、最初は確実に聞こえるまでボタンを

押しませんが、次第に聞こえたと思ったときに押すよう

になる。

蝉の鳴き声も夏のドライブの時、耳にずっと残ります。

雨音や蝉の声のようなノイズは、聴覚器官にとって背景ノイズ

のようなものです。

聞こえるかといえば聞こえ、聞こえないといえば聞こえない。

更に、今日も雨かという脳内の失望が先立ち、脳内で音の

信号を作り出す。

夢の中でささやきを聞いているようなものです。

蕪村の雨音は老人の耳のせいにしていますが、私の雨音は、

心理的要因のほか、周りが静かであるため、自分自身の

聴覚器官の背景ノイズを聞いているような気がします。

雨の日が続くときに雨音の幻聴を聞く事が多いので、

脳内で背景ノイズをその都度調整しているのかもしれません。

目的は、聴覚感度を上げるために。

蕪村の句から、人間のからだの不思議を考える機会を

得ました。

 

有無相生

 

 

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