老子小話 VOL 1027 (2020.07.18配信)

此兩者、同出而異名、

同謂之玄。

玄之又玄、衆妙之門。

(老子、第一章)

 

此の両者同じきより出でたるも名を異にす。

同じきものは之を玄と謂う。

玄の又た玄、衆妙の門なり。

 

鈴木大拙先生の「東洋的な見方」を読み返す機会を得、

その中で妙について語る文章に出会いました。

先生は老子第一章を引用して、妙にふさわしい英語を

考えておられます。

そこで今回の言葉は、老子より選びました。

「此の両者」とは、万物の始源たる妙と、末端として

出現した現象を指します。

この二つは同じ所から出てくるが、名前は異なる。

おおもとの深淵を玄という。

おおもとのおおもとをたどると、あらゆる妙が出てくる

門に行き着く。

わかったようなわからないような言葉です。

仮に、末端現象として自分の生命を考えます。

自分の誕生には、親の生命が必要です。

そして親の生命の誕生にはその親の生命が必要です。

これをずっとたどっていくと、海中に微生物が誕生

した生命の始源まで行き着きます。

これが玄であり妙でもある。

しかし生命の始源という玄の先に地球誕生という玄が、

更にその先に宇宙誕生という玄が現われる。

玄をたどればたどるほど、いろいろな妙が現われる。

一言で言うと、すべてのものには妙が隠されている。

その妙は人間の理性を超えた所にありますが、人間は

それを解明しようと日々努力している。

人間の遺伝子の中には人類史に出現した細菌の遺伝子が

取り込まれていると、養老先生が話されていました。

人間が生き残っているのは過去の環境に順応した結果

ということが、遺伝情報として刻まれているわけです。

新型コロナも、自然界の人類に対する挑戦とみることが

できます。

コロナの妙を解明してワクチンを作っても、コロナは

進化するので、その先に別のウィルスの玄が現われる。

それが人類の歴史そのものです。

人類史がwithウィルスの歴史であることを遺伝子が

を物語っているからです。

大拙先生は、妙をgoodに当てはめました。

善悪のgoodではなく、「それ自身においてある姿」の

意味です。

「それ自身においてある姿」に名前をつけることで、

その姿を歪めてしまっては、正しい行動は取れない。

ワクチンがない以上、感染しない、感染させない行動

しかないのは誰でもわかります。

老子の言葉は今を生きています。

 

有無相生

 

 

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