老子小話 VOL 1015 (2020.04.25配信)

曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新。

少則得、多則惑。

(老子、第二十二章)

 

曲なれば即ち全し、枉がれば即ち直し、

窪めば即ち盈ち、敝るれば即ち新たなり。

少なければ即ち得られ、多なれば即ち惑う。

 

今回は久し振りに老子の言葉をお届けします。

荘子に出てくる故事とも関係します。

「曲なれば即ち全し」とは、荘子に出てくる

樗という曲がった樹を指しています。

曲がっているので材木にされず、そのまま成長

でき、一生を全うできるというお話。

「枉がれば即ち直し」とは、尺取虫のように

身をかがめているから伸びる事ができる。

高くジャンプするときは身をかがめます。

窪みがあるからそこにものが満ちる。

服だって、ぼろぼろに破れているから、

新しくすることができる。

何だって少ないから、得る楽しみがあり、

多くをむさぼると迷いが増える。

人間社会では不完全で無用と考えられて

いることが、自然界では影で働きをする

という教えです。

この度の新型コロナという感染症の蔓延を

通して人間社会の様々な問題が見えてくる。

マスク一つをとってみても、台湾のように

配給制にして必要な人に確実に届けた国、

もあれば、買占めを放置し医療従事者にすら

届けられない国もある。

さらに慌てて輸入し、不良品続出で未配布分

を全部回収する始末。

コロナ対策が後手後手に回り、あたふたとする

政府。

コロナは人間社会にとって影ですが、政治家の

心の隙を鋭くついてくれたのは恩恵といえる。

SARSありMERSあり、感染症の嵐は新型コロナに

留まりません。

老子によれば、憎き新型コロナであっても、

将来の人間社会にとって何かの役目(用)を

果たしていると考えることが大事だといいます。

日本の経済一辺倒の政治の危うさを教えてくれた

だけでも役目を果たしたのではないでしょうか。

自然が与えた災難(声)には意味があります。

老子はこの声を希言と呼ぶ。

 

有無相生

 

 

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