老子小話 VOL 1001 (2020.01.18配信)

何を食べようか、何を飲もうかと、

自分の命のことで思いわずらい、

何を着ようかと自分のからだのことで

思いわずらうな。

命は食物にまさり、

からだは着物にまさるではないか。

(マタイによる福音書)

 

今回は新約聖書よりキリストの言葉を

お届けします。

佐藤優著「人生の役に立つ聖書の名言」

の文庫版が最近出されその最初の言葉

です。

聖書は永遠のベストセラーなので、その

言葉は人々に生きる力を与えています。

人間の活動の原点は、命と体であるのは

言うまでもないことです。

その命と体は、自分で生み出したのではなく、

親から与えられたものです。

つまり与えられた幸せを原点にすれば、

何を食べようが何を着ようが気にならない。

人間は往々にしてその原点を忘れる。

そうすると、経済的に裕福であることが

幸せだと勘違いする。

「命あっての物種」ということわざは、活動の

原点は命という。

「体が資本」という言葉は、思いがあっても

体が動かなくては何も出来ない。

歳をとると、この聖書の言葉は身に沁みる。

医療制度の充実で寿命が長くなるが、何を

しようか思い悩む。

時間も自由に使えて、旅行に出ようかと

思っても、体のほうが動かない。

つまり、与えられた命とからだは永遠の

ものではないということです。

与えられている幸せを限られた期間内で、

存分に活動に生かす役割を負っていると

いうことだと思います。

老荘にはこんな考えはあったのでしょうか。

人間だけでなく万物が道より出で、道に

帰っていく。

その生と死の循環の中で、自分に与えられた

人としての生の時間を楽しもうという。

キリスト教も老荘も、命と体は一時的に

与えられた幸せと考え、その幸せを限られた

時間内で大いに楽しめといっているようです。

 

有無相生

 

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