2014.12.07

過去の日記が消えてしまったので、今日から日記を付けていくことにしたい。

62歳となり、残された時間は短いが、日頃気づいた驚きを気ままに綴っていくことにする。

初回は、電車の席に座っていて、隣の人がスマホに熱中している場面で気づいたことがある。

私は本を読んでいて、隣の人はゲームに熱中している。

スマホを握っていると、両肘が両脇にせり出し、スペースをとることが大きな問題となる。座席は狭いので、肘を出されると、本を読んでいるこちらの肘とぶつかることになる。本を読むときは、本を持つ手を入れ替えて肘を反対側にせり出せば、問題は回避される。

しかし、反対側の人もスマホをやっていると、両方から肘攻撃を受けて、逃げ場がなくなる。

スマホを握っている人でも、気配りの有る方は、体を席から前に出して、肘がぶつからないようにしている。

問題なのは、空気の読めない方である。

更に同じ問題は、立ってスマホをやっている人にも言える。

特に、車内が混んでいるとき、本を読む自分としては、かばんを網棚にあげて、つり革にぶら下がりながら本を読むスペースが欲しい。

しかし、スマホをやっている人は、肘を脇に突き出しているので、そのスペースを占有する。

つまり、5人がけの席のまえに、3人しか立てないのである。

この気配りのできない輩は、男女を問わず、老若を問わない。

スマホをやって、おのれの世界に没入し、周りの迷惑が一切気にならないのである。 

 スマホ中毒といえる現象で、そういう人が増えてくると、階段でもスマホを見ながら降りてきたりして、足を踏み外して、その人が怪我をする分には問題はないが、他の人を巻き込んで、転落事故を大きくする畏れも出てくる。

自動車を運転しながら目を奪われ、事故を起こす場合もある。

 こういう状態なので、できるだけスマホ中毒者から遠のくようにしているが、電車の席は致し方なく、気がつくのを待つしかない。

 

2014.12.29

今年もあとわずかになってしまった。

一年を振り返って、何を感じたかをまとめてみる。

1. 政治経済への印象

今年は、仕事が大幅に減って、それに伴い収入も大幅に減って、節約の年という印象が強かった。

アベノミクスで大企業社員や公務員は給料も上がり、景気は上向くと予想された。

しかし、大半の国民は景気がよくなったとは思っていない。

円安で、物価上昇は活気付き、来年も各方面で値上げが予定されている。

アベノミクスの論理は、企業を元気にし、余力があれば、利益アップ分を社員の収入アップにつなげようというものである。

最初の試みには、日銀に紙幣を大量に市場に投入させ、インフレにして、円安を加速して、輸出を加速しようというものである。

ところが、円安で食品原料価格は上昇し、食料品の値上げを招いている。

肥料や家畜の飼料も輸入しているので、牧畜農業へのインパクトも大きく、それが物価高騰に追い討ちをかける。

燃料代が上るので、発電費用も上がり、光熱費の高騰につながる。

アベノミクスは、国民の犠牲をもとに企業を元気にして、国を成長させるという基本的な戦略である。

法人税率の低減は、企業を更に元気にしていくものである。

今回の選挙で圧勝したので、アベノミクスは国民から支持されているのは明白である。

しかし、安倍首相が忘れてはいけないのは、アベノミクスの恩恵を受けている支持者ではなく、アベノミクスの犠牲となっている国民である。

彼らに対してどのような救済策が打てるかが、バランス感覚といえる。

弱肉強食を通す戦略から漏れる人々への配慮である。

その配慮に首相は欠けるというのが、政治への印象である。

最大限の配慮は、消費税増税の留保だと首相は反論するかもしれない。

消費税は、国民一律に課せられるので、犠牲者への配慮ではない。

公明党の軽減税率案を見たが、まったくメリハリがなく、税率の違いは高々2%である。

なぜ、食料品や書籍は0%という思い切った策がとれないのだろうか。

政治経済への印象の次は、国民の働き方への印象である。

2.  国民の働き方への印象

毎朝通勤していると、なぜ電車が混雑しているのか不思議になる。

この状態は、この50年変わっていない。

皆が都会に通勤し、地方が疲弊する。

同じ時間に同じところに通い、同じ時期に休みをとる。

電車はすし詰めで、道路は渋滞する。

休日には、宿泊代も高騰する。

だれも不満を言うことなく、もくもくと働き、もくもくと休みをとる。

最近では、スマホというおもちゃができ、もくもくと見つめ、ロボットのように動いている。

国民の忍耐強さのせいで、国の無策が永年見過ごされてきた。

最たるものは、年金制度。

何にも文句を言わないので、年金記録をなくしても、平気でいる。

都市に、企業の本社が集まらないように、地方の法人税を下げるとかする策もとらない。

東京で大震災が起これば、日本は壊滅するのは目に見えている。

お役所も企業もすべて東京に集中しているからである。

原発でもそうだが、非常事態が起きたとき、誰かが何とかしてくれると、

根拠のない自信を皆が持っている。年金制度と全く同じである。

安全保障も同じである。だれかが攻めてきたときは、アメリカが守ってくれると。

その意味で、日本人の強さは不条理への忍耐強さといえる。

逆に、日本人の弱さは、現状への問題意識の弱さとなる。

何かがおかしいと疑問を持つことである。

皆と同じように、だらだらと職場に居残り、残業をすることで安心する。

問題は、その非能率であることを誰かが指摘してくれないと気づかない。

たとえ気づいても、皆と同じように行動を共にする。

悪く言えば、護送船団方式で、集団で動く限りお咎めは受けない。

つまり、自分が若い頃から感じている疑問は今もって変わっていない。

これは、もはや政治とか教育の問題ではない。

日本の歴史に基づく国民の習性のように思えてくるのである。

一言でいえば、民主主義を外から与えられ、自ら勝ち取っていないという歴史による。

徳川幕府が倒れたのも、欧米列強の開国の圧力に屈した結果であり、

とって代わった明治政府は、軍国主義のもとでの富国強兵政策で、

列強に並ぶ帝国主義に発展し、大戦でアメリカに破れ、民主国家となった。

昨日まで陛下バンザイといっていたのが、今日から国民主権となった。

血で、国民が自由を勝ち取ったフランスやアメリカとは背景がまったく異なる。

政治を常に監視しないと、国民は不利益を被るという精神がまったくない。

実に不思議だが、事実のようである。

3. 残された時間への印象

いま62歳になり、平均寿命は80歳とすると、あと18年の命となる。

18年を長いと見るか短いと見るかは見方によって変わる。

孫が成人するまで生きると考えると長く思える。

そこには大きな成長の過程が期待できるからである。

定年後の2年を考えると、変わり映えのしない毎日が続き、あっという間に

経過した感が強くなる。ついこの前、年賀状を印刷したと思ったが、また、

慌てて年賀状を印刷している。

つまり、生活に変化を起こさないと、毎日はあっという間に過ぎ去る。

変化が無いと、昨日のことか一昨日のことかわからなくなる。

老人になると、微妙な変化に気づかなくなるいう面も帯びてくる。

62歳で老人というのも悲しいが、記憶の衰えはいかんともしがたい。

従って、気づいたことを日記に残すというのは、残された時間を

残された時間として記録にとどめ、どのような死を迎えたいのか

イメージをまとめる手法として考えたい。

この半年間、GACCO (gacco.org/)というオンライン講座を受けている。

俳句からインターネット、統計学から生命化学講座、中世歴史学まで、様々の分野の講座が無料で受けられる。

休みの日に集中的に受けることが多いが、頭のリフレッシュに使っている。

毎回テストもあり、生活に微妙な変化が起きている。

今までは、市民講座など足を運んで講演を聴いていたが、家で好きな時間に聞けるから、何でも聞いてやろうと好奇心が湧く。

わからないことは、更にネットや本で調べる。

そうすると、少しずつ理解が深まっていく。

課題は、受講者の相互評価で、点数が付けられる。

他の人の回答を見ることで、新たな発見もある。

GACCOには、世代を超えた受講者のつながりも生まれる。

家にとどまらずに外に出かけていくのも微妙な変化を与える。

毎日の繰り返しと違う場所に出かける。

普段の通勤では降りない駅に下り、付近をぶらついてみる。

いつも電車からみていた通りにはこんな店があったのか、

こんな穴場があったのかと、新たな発見を生み出す。

つまり努力しないと、時間の流れを遅くすることはできない。

そんな印象を今年は持ち始めた。