荘子との出会い

 

今から30年以上も前に、高校のときの漢文の教科書に、荘周の夢の部分が出ており、それに感銘を受けたのが出会いである。

退屈な授業を夢うつつの中で聞いていると、自分の魂が胡蝶となって教室を抜け出し、荘周と同じ気分に浸ることができる。

自分が蝶に変身したのか、蝶が自分に変身したのかわからくなる。

そんな共感から、図書館で「荘子」を開くと、次から次へのスケールの大きい寓話が目の前に広がった。

当時の経済競争一辺倒の社会趨勢と全く違った、何物にもとらわれない超越的な自由世界は、一高校生であった自分に魂の安らぎの場所を与えてくれた。