|
節子と申します。最初は「鬼畜教総本山」の方の掲示板に書かせていただきましたが、
やはりこちらに書いた方がよいようなので、こちらに書きます。
管理人さんに申し上げたいことがあるのですが・・・ 武田信玄の正室の三条夫人が、
家柄を鼻にかけていたり、嫉妬深かった悪女だったという、当時の史料に基づいた史料的根拠は何もありません。それどころか、彼女のお墓のある円光院には、快川国師が「三条夫人は、春の日差しのように温かくおだやかで、美女で信心深く、信玄公とのご夫婦仲も、非常にようございました」と語っている言葉が記録された史料が、きちんと残っています。
また、信玄の側室で勝頼の母の諏訪御寮人(湖衣姫(こいひめ)という名前の方が、わかりやすいかもしれませんが)が、信玄の最愛の妻という史料的根拠も、何もありません。それから、確かに、大河ドラマの「武田信玄」では死ぬ間際、病で醜くやつれ果てたことにされていましたが、むしろ諏訪御寮人の方がそうなっていた可能性が高いと思います。もしドラマのとおり、本当に彼女の死因が結核だとしたら。しかし、ドラマではピチピチしてましたね・・・
結核なら、本当はげっそりとしてやつれ果てているはずですが。つくづく、ご都合主義なドラマです。
|
|
|