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あー、間違って送信しちまったか?
つうわけで狗氏の反論に対して。
>私にとってミラージュの解釈は、戦国時代の武将の霊が現代に黄泉返り戦の続きをしている、といったもので、戦国時代ではなく「現代」で戦ってることが重要だと考えてます。
(以下省略)
然り。
しかしながら、問題は「霊」という基本的に非実体の対象との戦闘において、物理兵器が有効なのか疑問を憶える。
1巻に登場した骸骨武者が仮に実体を持っていたとしても、その本質である霊体を退治しなければ、何度でも蘇る。
(因みに、骸骨武者=所謂スケルトンを物理的に無力化する方法として、腰骨をバラバラに砕くという方法が挙げられる。そうすれば歩行能力を失い、上半身で這いずるしかないからだ。しかし、この方法は本質的退治=除霊とは程遠い。)
カンショウシャ(漢字変換面倒)同士の戦闘であれば、物理兵器はそれなりに有効だろうが(事実、直江は一発の銃弾で倒れた)それも念という能力が使えない状況に限定しての事と思われる。
つまりパンツァーファウストを飛ばそうが、キャリコM950で9mm弾を100発ぶち込もうが、カンショウシャ同士の戦いではあまり意味が無い。
移動方法として、自動車を使うなり、バイクを使うなり、ヘリを使うなりするのは現代だから当然だが、霊というトンチな存在に対して我々の常識を持って立ち向かうのは愚作の極みと考える。
そういうのは夜叉衆や高野山のお坊様方(霊的戦闘能力を持つ人)に任せておけばよいのだ。
最後にMoB的雰囲気を保った武器を挙げるならば、所謂霊剣であったり、職人が念=魂を込めた刀剣類、また銃器ならば儀礼銃やサイコガン的兵器(コブラ参照/要するに念鉄砲の一種だが)などに限定されるだろう。現代人がサイコガンを身に付けて、怨将を駆逐していく光景を想像するのは確かに痛快だ。
参考にされたし>狗氏
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