スキーの歴史
スキーの始まり

1)古代の実用スキー
スキーの歴史は古く、その起源は紀元前2500年、あるいはそれ以前の神話の時代まで遡ることができます。北欧、ウラル、アルタイ地方、シベリア、中国、朝鮮半島、樺太など広い地域で、スキーについての記録が残されています。
 これら古代スキーは、いずれも“かんじき”の役割を果たすものでそれが次第に縦長の板状のものとなり、いくらか滑走の機能をもつことから、スキーの原型と考えられます。

2)日本でのスキーの記録
日本でもっとも古いスキーの記述は、1808年に間宮林蔵が著した「北蝦夷図説」のなかの、スキーに似た道具を履いている原住民(樺太)とされています。日本には“かんじき”“すかり”などの名称で呼ばれる雪上歩行具が積雪地方で使われていた記録はありますが、今日のスキーにつながるものはありませんでした。

近代スキーの興隆と発展

ツダルスキー1)スポーツとしてのスキーの興隆
1870年頃に、ノルウェーは、スキー部隊のスキー訓練の成果を競い合う競技を始めるようになりました。また、ノルウェー王室はスキー競技の勝者に賞を与えました。こうした事がきっかけとなり、スキーは一般庶民へと普及し、スキーを国技としたノルウェーをはじめ北欧全域にスキーが広がって行く事になったのです。

2)アルペンスキーの興隆
ノルウェーに始った近代スキーは、19世紀後半からヨーロッパ各地にひろがっていきます。なかでも、1888〜1889年に、ノルウェーの極地科学者フリチョフ・ナンセン(1861〜1899年)がスキーを用いてグリーンランド横断の快挙をなしとげたことは、世界の人々の関心をスキーに向けさせることとなりました。

ナンセンの「グリーンランド横断記」に刺激を受けたオーストラリアのマチアス・ツダルスキー(1856〜1940年)はリリエンフェルト(ウィーン郊外)の山中に居住してスキー研究に没頭しました。その結果アルプスの山岳滑降に適応する一本杖の「リリエフエンフェルト・スキー滑降術」を1896年に発表しました。

 スキー術の革命児ハンネスシュナイダー(1890〜1934年)はオーストリアのシュートベンに生まれ自ら実践的な研究を積み重ね、国際大会に出場し輝かしい成績を残しました。
 シュナイダーは、こうした実践に裏づけされた研究成果をもとに、山岳映画の巨匠アーノルド・ファンク博士とともに、1920年に映画「スキーの驚異」を完成させます。「スキーの驚異」は世界中に大きな影響を与えました。

スキーの歴史
日本のスキーの始まり

1)日本初のスキー
レルヒ少佐日本では、1902年(明治35)に起きた青森歩兵5連隊約200名の八甲田山雪中行軍遭難事件がきっかけとなって、軍隊を中心に、雪上の交通手段としてスキーの研究と導入の機運が高まりました。
 1911年(明治44)、オーストリアのデオドール・エドレフ・レルヒ少佐(1869〜1945)が豪雪地高田の第13師団に着任しました。
大規模なスキーの研究と普及の計画を立て、組織的、精力的にスキーの研究を実行したのです。
ここに日本初の本格的なスキー術の講習会がレルヒ少佐によって行われたのです。


シュナイダー2)シュナイダーの来日
1930年(昭和15)映画と著書「スキーの驚異」で世界を席巻したシュナイダーが来日しました
在籍1ヶ月、映画と講演、雪上での実技指導は当時、生の情報に乏しかった日本のスキーヤーに決定的な影響を及ぼしました。

こうしてスキーが冬季スポーツとして脚光を浴びるようになり、1924年シャモニーにおいて第1回冬季オリンピック大会が開催されました。




スキーの歴史
現代のスキー

クルッケケンハウザー教授1956年(昭和31年)猪谷千春は、第7回冬季オリンピック(コンチナ・ダンペッツオ大会)のスラロームで2位となり、日本人として初のメダリストに輝きました。

1951年、第1回国際スキー教育会議(略称インタースキー)が、オーストリアのツールスで開催されました。インタースキーは、スキーの技術、指導に関する研究」や各国での情報を交換する大会で、各国の技術、指導法の発表、討議、情報交換の場として今日まで継続して開催されています。

1963年(昭和38)には、オーストリア国立スキー学校の総責任者であるシュテファン・クルッケンハウザー教授がデモンストレーターとともに来日し、各地で講演、映画上映、実地指導を行いました。
各地の講習会に先立ち、特別指導をうけて講習会のアシスタントをを務めた日本の若い指導者たちにとって、この経験は計り知れない収穫となったと同時に、日本のスキー界の貴重な財産となったのです。


1965年(昭和40)の第7回インタースキー(バドガンスタイン)には、日本で始めて10名のデモンストレーター・チームを送り込みました。

1979年(昭和54)に、アジアで初めてのインタースキー(第11回蔵王大会)を開催し、名実ともにスキー大国としての責任を果たしました。

1995年(平成7年)の第16回インタースキー野沢温泉大会では、幅広いスキー活動のシーンが紹介されました。この2度にわたる開催で、日本は世界におけるスキーのリーダーの一員として、その役割を果たすに至ったのです。