「M」

第2章 side-A


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その日の公演は大成功だった。
さいたまスーパーアリーナは昼夜公演とも満員の観客で埋まった。
そして、モーニング娘。の歴史を辿るともいえるセットリストに観客は大いに酔った。
初期オリジナルメンバー3人による「モーニングコーヒー」に始まり、矢口、飯田による「たんぽぽ」、石川と加護を加えた「恋をしちゃいました」。
さらに後藤、吉澤、小川による「Baby恋にKnockOut」、矢口、加護、辻による「ミニモニ。じゃんけんぴょん!」など、旧ユニットによる楽曲を惜しげもなく披露した。
5期メンバーによる「好きな先輩」には、2番から6期メンバーが加わり、中澤は「からすの女房」を歌い、後藤と加護がメインで「I wish」を歌った。
石黒と保田によるVTRコメントもあった。
そしてラストは、出演者17人全員による「愛の種」
観客の中には涙を流してステージを見ているものもたくさんいた。そして最後はみんなが笑顔だった。

矢口はこれまでにない手ごたえを今回のライブに感じていた。それは他のメンバーも同じだったらしく、公演終了後の打ち上げルームではみんなが何かしら興奮した表情でいた。

『すごい盛り上がったよね』
『でも知ってる?ファンの人達って、今回のツアーで娘。は解散するって噂なんだって』
『集大成って感じだもんねぇ。そう思っちゃうのも分かる気がするな』
『うん、おいらつんくさんに聞いたもん。解散とかしませんよねって。そしたらお前まであほかって笑われた』
『でもわかんないよー』
『ちょっと怖いこと言わないでよ。辻とか泣きそうじゃない』
『あぁ辻ちゃんごめん、冗談だってば。今回の同窓会ツアーで集大成して、それからまた再出発しようってのが今回のライブのコンセプトなんだからね。初心に帰るって言うのかな』
『うん。わかってるよー』
『っていうか、辻ちゃん別にもうモーニング娘。じゃないんだから、そんな泣きそうな顔しなくても。関係ないじゃん』
『関係なくないもん』
辻にとってモーニング娘。というのはそんなに軽い存在ではない。そしてそれはもちろん辻だけではなかった。

やがて年配の女性マネージャーの声が打ち上げルームに響いた。
『はい。子供チームはもう時間ですよ。帰る準備して』
『は〜い』
すると、いわゆる子供チームと呼ばれる18歳未満のメンバーは、持っていたコップを手近な机において部屋をではじめた。
いわゆる労働基準法による21時制限だ。18歳未満は21時以降は仕事をすることができない。
もっとも打ち上げが仕事に入るのかというとやや微妙な気も矢口はしていたのだが、一応うち会社ではそういう扱いにしているらしい。

『じゃ、私も行かなきゃ〜』と保田が笑顔で子供チームと一緒に出て行こうとする。
『・・・・お〜い圭ちゃん』冷たい突込みが大人チームから入った。

『でもさぁ、圭ちゃんもステージにでればよかったんだよ。そしたらもっと盛り上がったのに』と矢口が保田に言った。
『だめだめ、私は引退した身なんだから。そこははっきり境界線を引かないと。Vで出るのだって本当はちょっと抵抗があったんだよ。でも彩っぺに一緒に出ようって説得されたから』
『明日香と紗耶香は最後まで嫌だっていって承知しなかったもんね』と飯田。
『でも、今日見に来てくれただけでも十分やんか。私紗耶香の子供はじめてみれたから嬉しかった』と中澤が笑顔で言う。
『子供かぁ。なんかすごいよねぇ。っていうか圭ちゃんが結婚引退したってのもいまだに信じられないんだけどさ』
『すごい突然だったもんなぁ』
と、後藤と吉澤が続けた。
『私にとっても突然だったんだけどね・・・・でもプロポーズされた時にね、あぁ私はこの日のために芸能界に入ったのかもって思えたから・・・・』
『付き合いだしてたった2ヶ月でプロポーズだったんでしょ・・・・運命だよねぇ』と安倍がうらやましそうな表情をする。
『一瞬にして熱く燃え上がったって感じよね』と矢口。
『じゃぁ、すぐ燃え尽きるんだ』
『おい、石川』
『えへっ』

よくあることだが、そうやって石川が会話の流れを止めた後、
『ええなぁ・・・・結婚・・・・』
中澤がしみじみとそう言ったので、その場は一気に暗くなった。
『ちょっとちょっと、そこで暗くならんといてや。冗談やって』
『いや、今のは冗談の響きじゃなかった。』
『やぐち〜』そしていつもの中澤と矢口のじゃれ合いが始まった。

そんな風に打ち上げルームでライブ後の余韻に浸っていたとき、扉の開け放たれていた打ち上げルームの外から大きな声が突然聞こえた。
『馬鹿野郎!!お前らちゃんと仕事してたのか!!』
その声に部屋は一瞬で静まり返った。
『大事になったらどうすんだ。すいませんで済む問題じゃねーんだぞ。わかってんだろ!』
何事かと、部屋にいた人々のうち幾人かは部屋をでる。
矢口と中澤も部屋を出ようとしたが、女性マネージャーに押しとどめられた。

『なんだろ』
矢口や中澤は興味津々な様子だが、安倍や石川あたりは不安な顔で表情を暗くしている。

やがて様子を見に行っていたチーフマネージャーの緒方が帰ってきた。
『何があったんですか?』と中澤がまっさきに聞く。
『んー、まぁ、ちょっとな』
『ちょっとって?』
『いや、なんか不審者が楽屋に入り込んでたらしいんだな。さっき子供チームが荷物をとりに戻ったとき、楽屋に若い男が一人いたらしいんだ』
『えー』その場にいた一同の表情が曇る。
『まぁ別に何をするってんでもなくて、ちょっと話しかけただけですぐに出て行ったらしいんだけどな』
『こわいなー。どうやって潜り込んだんだろ』と吉澤が誰にともなくつぶやいた。
『さあなぁ。とにかくそんなわけで警備主任が、出入り口担当の警備たちを怒ってたってわけだ。彼らの目を盗んでうまく入り込んだんだろうからな』
なんともいやな話だと矢口は思った。
『とにかく、まだこの中にいるかもしれないってことで、みんなで探してる。だから念のため、お前らもすぐに帰ろう』
『げげげ』
『私もうちょっとビール飲みたいのに〜』と中澤が悲しそうな声をだした。


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『度が過ぎたファンってのも怖いよね』
『うん』
となりに座る矢口の台詞に、安倍が嫌そうな表情で答えた。
その会話を聞いて、ロケバスの一つ前の席に座っていた緒方が後ろを振り返って話し始める。
『いやファンじゃないっぽいんだ。「君たちがこっちのモーニング娘。か。ずいぶん若いんだな」とかいうことを言っていたらしい』
『なんかそれじゃ、初めて私たちを見るみたいな台詞ですね。それに”こっちの”って何?』と矢口たちの隣の席に座っていた石川が疑問の声をあげた。
『さあな。ただ頭がおかしいだけのやつかもしれんな』
『そっちの方がこわいよ』と安倍。
『ま、今後は今まで以上に警備を厳重にするって言ってたし、もう忘れなさい』
『は〜い』

それほど気に病むこととは思われなかったので、みんな気楽な気持ちで返事をした。
だがこの時、矢口は少し心にひっかかるものを感じていた。
(こっちの・・・・・)
だがそのひっかかりは、隣に座っていた安倍が別の話を始めたことですぐに消えうせ、そしてその後思い出すことはなかった。



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