「M」
第11章 side-A
----------------□
『ごめんなさい・・・みんなを心配させちゃって』
ソファーに座った石川が、顔を今もうつむかせながら小さく声を出す。
『梨華ちゃんは悪くないよ。気にしなくていいからね』
窓際に立っている安倍が石川に優しく声をかける。
『そうだよ。それに本当無事でよかった。』と飯田。
『それよりむかつくのはその男だよな』
と吉澤が自分の右手のこぶしで、左手の平を叩いた。
所属事務所の会議室に、モーニング娘。の新旧メンバーとそのスタッフが集まり、普段は広いこの会議室もほとんど鮨詰め状態であった。
さきほどまで、娘。のメンバーの変わりに数人の警察関係者がいたときにはわりと余裕のある広さだったが、警察の人間が去り、石川以外のメンバーがぞろぞろと入ってきたとたんに手狭になり、スタッフのうち2人は部屋を出て行くほどだった。
だが、その狭い部屋に詰め込まれたメンバーは全員、その表情に安堵の色を浮かべていた。
石川が見つかったのは、ほかならぬ事件の起こった彼女のマンションだった。いや、見つかったというよりも、石川が自らマンションの管理人室に駆け込んできたのだ。
昨夜、エレベーターから出たところを若い男に襲われかけた石川は、男を突き飛ばして逃げようとした。
そこまでは防犯カメラの映像から分かっていたが、その後は彼女は連れ去られたものと思われていた。
しかし、事実はまったく違っていた。
石川の話によると、突き飛ばされた男は壁に頭をぶつけて気を失ったということだった。そして彼女は、男が倒れている隙に急いで自分の部屋に逃げ込んだ。
そしてそこから外部に連絡を取ろうとしたのだが、携帯電話を落としていたことに気がついた。
そこでマンションに備え付けられている固定電話兼、管理人室直通電話を使おうとしたが、その電話がなぜか作動しなかった。
よって部屋からは外部への連絡手段がなくなり、かといってもう一度外に出る勇気もなかった彼女は、とりあえず恐怖のあまり押入れに隠れることにした。そしてそのままいつの間にか気を失ってしまったということだった。
だから、マネージャーが部屋に入ったときも、その後夜中に警官が石川の部屋を調べに来たときにも、彼女がそこにいることには誰も気がつかなかったということらしい。
今朝になって気がついた石川は、勇気を振り絞って部屋を出てマンションの管理人室に駆け込んだ。まだそこに残っていたマネージャーと管理人、そして警官たちは驚き目を見張ったことだろう。すっかり外に連れ去られたものとばかり考えられていた石川がマンションの中から駆けてでてきたのだから。
『とにかく今後の警備体制は警察の方で万全を尽くしてくださるそうだ。犯人も今全力で捜してもらっているし、その犯人が捕まるまでは送り迎えなども全部警察の方についてもらう。だから安心していいからな』とマネージャーの緒方が全員を見渡して言った。
その緒方の台詞に安倍が驚いて言った。
『送り迎えって・・・・ひょっとしてすぐに仕事するんですか?』
『うむ。家に引きこもっていたってしょうがなかろう。変な噂が立つことを防ぐ意味でも早速今日から仕事を再開する予定だ』
『え〜』
と軽い抗議の声がメンバーの何人かからあがった。
『もちろん状況が状況だから、仕事の量は減らすし、休みたいものがいれば言ってくれればできるだけ調整はするよ。
だが、やはり今はできるだけ協力して欲しい』
緒方はそう言った。
そしてメンバーの間にしばし沈黙が走った。全員、複雑な表情をしていた。頭では緒方の言うことをもっともと思いつつも、感覚が抵抗しているという感じだった。
その沈黙を破って再び緒方が話をはじめる。
『まぁ石川と6期は3,4日休みにしよう。石川はともかく6期は歳も若いしショックも大きいだろうからな。だが5期以上はプロとして自覚をもって頑張って欲しい。それが私の本音だ』
再び沈黙が降りる。
すると、
『あの・・・・私大丈夫です。私仕事をしますから』
石川が声を上げた。
その声に全員が驚いて石川を見る。
『石川、お前は無理しなくていい』
緒方が言った。
『いや、大丈夫ですから。全然平気です。あんなのたいしたことないし』
『たいしたことないわけがないじゃない。梨華ちゃん、あんたは休みなさい』
安倍が石川に言った。
『そうだよ、まぁ私たち大人チームでしばらくはがんばるからさ。ねっ、矢口』
と飯田が矢口のほうを向きながら言った。
『えっ?』
矢口は未だここに石川がいるという自体を飲み込めていなかった。
それゆえに飯田の話もよく聞いていなかったため、突然名前を呼ばれてびっくりしたのだった。
『だめなの・・・・矢口?』
安倍が心配そうに声をかける
『う・・・う、うん!そ、そうだね、うん。私たちで頑張ろう。うん』
矢口のそんな必死に取り繕ろうような態度に、安倍は心配そうな表情を浮かべた。
矢口は未だ混乱していた。もはやこの世界から消えたはずの石川がなぜ今ここにいるのか。
だが、今確かに自分の目の前に彼女はいる。以前と変わらぬ姿で座っている。
もちろん石川が無事だったことに対する安堵の気持ちは大きかった。でもそれ以上に疑問の気持ちも大きかった。
そしてもう一つ。
石川が無事に帰ってきたというのに、それに対する喜びよりも、疑問の気持ちの方が大きいという自分の気持ちに対して、矢口の心の中で今、自分への大きな嫌悪感が生まれていたのだった。素直に喜べない自分が憎らしくすらあった。
『あの・・・・私もちゃんと仕事します』
田中がそう言った。
『大丈夫なのか田中?』緒方が聞く。
『はい。石川さんが大丈夫だって言ってるのに、私がだめっていえないですから・・・・』
『えらいぞ、れいな』と吉澤。
『あ、あの私も・・・・・』
『私も大丈夫です』
道重と亀井が後に続いた。
『えっと、私一応6期なんで、休んでもいいのかなぁ?』
藤本が笑顔で言った。
『却下』
新垣がすかさずそう返したので、会議室には一斉に笑いが広がった。矢口真里を除いて。
----------------□
>第11章 side-B
>目次