想像以上に大変素敵な空間だったので、僭越ながらちょっとだけ御案内させていただきます。 およそこちらをご覧頂いておられる方のなかで竹中英太郎の名前を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、
昭和初期からはじまった世界的な大不況、そして軍部狂乱と続く救い難い時代に、竹中英太郎は、雑誌「新青年」を舞台に、時流に抗するような幻想、怪奇な画風をもって挿絵界に登場し、若くして一代の寵児となった。だが生来の激しい反骨精神はそこに安住することを許さず、約8年の画家生活の後に、決然と絵筆を絶って社会主義運動に身を投じ、満州時代を経て山梨県労働界の闘士として重きをなす。 ページTOPに画像を載せさせていただいた竹中英太郎記念館の案内チラシにある文章です。 正直なところ、私も横溝正史なり江戸川乱歩の作品の挿絵を描かれていたことから、そういった方面の特集関連の雑誌などで一部の作品を見たことがある程度の認識しか持ち合わせていなかったのですが、今回記念館の方へお邪魔させていただき、館長自らからいろいろとお話をうかがうことができて、これまで以上に作品にも、また竹中英太郎という一人の人物にも興味を惹かれました。 なお、竹中英太郎の作品譜である『百怪、我が腸ニ入ル』(三一書房 刊)を編纂したルポライターの竹中労は竹中英太郎の子息であり、この本では横溝正史と竹中英太郎の関係をうかがい知ることもできます。
さて、記念館の御案内です。 湯村温泉街は甲府と一口にいっても甲府駅を中心とした市街地から車で10〜15分程離れたところにあるので、交通はどうしても車の便に頼らねばなりません。まぁこれは山梨県内観光と交通事情の関係を考えれば湯村に限ったことではないのですが…。 湯村温泉街にあるといっても、温泉旅館やホテルの立ち並ぶ中に記念館はありません。旅館街のすぐ裏手にある小高い山の中腹に記念館はひっそりとあります。温泉街の中に目立った案内看板などもありませんので、ちょっと判りにくいかもしれませんが、オープンするにあたって地元新聞などメディアにも取り上げられたので、温泉街のなかで訊ねれば「その山の中腹にあるけど…」と教えてくれるでしょう。だいたいの場所がわかれば、道はそれほど多くありませんので、よっぽどの方向音痴でない限りたどり着けるハズです。さりげなく記念館前の路上に置かれた薄紫の看板が目印になっています。 最初、記念館オープンの情報をネットで知った時、いくら自宅の一部を改装してつくられた記念館という話しを聞いても、それでもなお「なぜこんな所に記念館なんだ?」と思わないわけでもなかったのが、これは実際に館に足を踏み入れ、館長からお話をうかがって、すぐに払拭されました。 世に「記念館」「資料館」などという名前のつく施設は数あれど、公共であったり、或いは法人組織運営のようなモノであったりするとどうしても来館者の利便性であったり、来館者数をみこしての設立を念頭につくられるものといったモノが多かったりして、ついそういった施設と同じような感覚でとらえてしまって違和感を感じざるを得なかったのだが、この『湯村の社 竹中英太郎記念館』は、そういったモノとは違って、プライベート美術館といった赴きの濃い記念館であり、そういった意味で言えば、逆に「ここでなければいけない場所」にあるのだということが、館長からのお話をうかがって納得することができます。山の中腹(と言ってもたかだか5、60m程度登るだけですが)にあるというのも、元々がアトリエがあった場所を改装したからで、 「アトリエだった頃は山の斜面側は一面窓になっていて、昔は高い建物なんかもなかったからその窓から見える御坂山脈の山並や、その向こうに見える富士山なんかの風景も父は好きだったんですよ」 といった話しをうかがえば、なるほどなぁ…と思わざるを得ないところでしょう。 …ありゃ、こんな逸話までこんなところで紹介しちゃって良いのかな…。こんなところで予備知識として知ってもらうよりも、実際に行ってお話聞いた方が何倍もリアル感を味わえるに違い無いから、ここではあまり詳細まで話すことを手控えることにしよう。
画像をお見せできるは、ウチの紹介頁ではここまでです。 なんと言っても、展示されている作品だけでなく、記念館そのものからして竹中英太郎が直接手を触れていた場所を改装しているのだから、そのひとつひとつに関して館長さんからのお話をうかがいながら接することができることというのは、好きな人ならたまらないことでしょう。 と、先程から「館長からうかがえば」を連発してますが、竹中英太郎の娘さんであられる館長は休館日以外は毎日記念館で来館されるお客さんの対応をできるだけさせていただくということなので、よっぽどのことが無い限り(例えば何十組も一度にお客さんが連続して来館されるとか)、来館してお話をうかがいたいという姿勢でこちらがいれば、いろいろと絵に関するエピソードや逸話をお話を聞くことができます。 肝心の展示品ですが、まずなんと言っても一番の興味の的である戦前の乱歩・横溝作品を飾ったモノクロの挿絵原画が二階奥の一室に十数枚。ちょっと少ないような気もしますが、他にも所蔵しているものは沢山あるのですが、展示スペースの関係で、どうしてもこれしか一度に展示することができず、展示しているモノに関してはまた時間をおいて取り替えるとかして考えていきたいとのことでした。 もちろん、モノクロの原画だけが展示されているわけではありません。 いづれの絵も一点一点力強く魅力に溢れているのですが、こうしてまとまった形で展示されていること、そしてなによりもこれらの絵がこの場所にあるということが一段と絵の輝きを増しています。 やはり「あるべきところにある」という存在意義は、何にも増して素晴らしい感動を与えてくれ、他のどこにもマネのできない空間を生み出しています。単なる絵を集めて展示しているだけの美術館ではない、まさしく「記念館」の名前に恥じない素晴らしい空間がそこにあります。 他にも話したいことは沢山あるのですが、「やはりあるべきところにある」ものが素敵なように、話しをうかがうべき人から話しを聞く愉しみをそこなうのはどうかと思いますので、ほどほどのところにしておいた方がいいでしょう。 「多くの人に、何度も足を運んでもらえるような温かい雰囲気の美術館にしたい」 興味をお持ちの方は是非とも訪れてもらいたい、画集などからでは感じきれない竹中英太郎の息吹きを感じられる空間でした。 最後にこれはちょっとオマケ。
湯村の社 竹中英太郎記念館 入館料 300円
本文中、本当に心苦しいのですが敬称略させていただきました。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-**-*-*-*-*-*
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