山梨県甲府市へ、この4月10日にオープンした湯村の社 竹中英太郎記念館』へ行ってました。

想像以上に大変素敵な空間だったので、僭越ながらちょっとだけ御案内させていただきます。

およそこちらをご覧頂いておられる方のなかで竹中英太郎の名前を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、
名前やその作品の一部は見たことはあるけど、どういう人かまではあまり知らないという方もおられるかもしれませんので、一応型どおり略歴などをいただいてきたチラシより略歴を抜粋引用させていただきます。

明治39(1906)年

福岡県生まれ

大正12(1923)年

上京、第一外国語学校英文科に入学。川端画塾に入門

昭和 2(1927)年

雑誌「クラク」11月号掲載 大下宇陀児「盲地獄」に挿絵

昭和 3(1928)年
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昭和 9(1934)年

横溝正史が編集長を務める「新青年」に掲載された江戸川乱歩「陰獣」への挿絵が話題を呼び、以後数々の雑誌にて江戸川乱歩・横溝正史・夢野久作・大下宇陀児等の作品に斬新妖美な挿絵を発表

昭和10(1935)年

横溝正史「鬼火」他数作の挿絵を最後に筆を折る

昭和11(1936)年

満州へ渡る(4年後に帰郷)

昭和17(1942)年

山梨県甲府市へ疎開

昭和19(1944)年

山梨日日新聞入社
以後、労働関連の仕事に従事

昭和42(1967)年

長男労の作品装画として約30年振りに創作再開する
以後竹中労の作品の表紙画、ジャケット装丁などで幻想的な彩色作品を創作

昭和63(1988)年

4月8日虚血性心不全で急逝(享年81才)

昭和初期からはじまった世界的な大不況、そして軍部狂乱と続く救い難い時代に、竹中英太郎は、雑誌「新青年」を舞台に、時流に抗するような幻想、怪奇な画風をもって挿絵界に登場し、若くして一代の寵児となった。だが生来の激しい反骨精神はそこに安住することを許さず、約8年の画家生活の後に、決然と絵筆を絶って社会主義運動に身を投じ、満州時代を経て山梨県労働界の闘士として重きをなす。
そしてやがて、長男竹中労がマスコミで名を成すにつれて、その手がける作品に彩管を取るが、その絵は年月を経ても衰えることなく、英太郎本来の妖美に満ちた作品で、画壇に強烈な印象を与えるものであった。

ページTOPに画像を載せさせていただいた竹中英太郎記念館の案内チラシにある文章です。

正直なところ、私も横溝正史なり江戸川乱歩の作品の挿絵を描かれていたことから、そういった方面の特集関連の雑誌などで一部の作品を見たことがある程度の認識しか持ち合わせていなかったのですが、今回記念館の方へお邪魔させていただき、館長自らからいろいろとお話をうかがうことができて、これまで以上に作品にも、また竹中英太郎という一人の人物にも興味を惹かれました。

なお、竹中英太郎の作品譜である『百怪、我が腸ニ入ル』(三一書房 刊)を編纂したルポライターの竹中労は竹中英太郎の子息であり、この本では横溝正史と竹中英太郎の関係をうかがい知ることもできます。
(ちなみにこの本に関しての紹介は横溝正史エンサイクロペディア『ほぼ週刊・本棚から横溝正史』のコーナーNo.20で、横溝正史とのつながりなどに関して御紹介されておりますので、そちらをご覧いただければと思います。)

 

さて、記念館の御案内です。

湯村温泉街は甲府と一口にいっても甲府駅を中心とした市街地から車で10〜15分程離れたところにあるので、交通はどうしても車の便に頼らねばなりません。まぁこれは山梨県内観光と交通事情の関係を考えれば湯村に限ったことではないのですが…。

湯村温泉街にあるといっても、温泉旅館やホテルの立ち並ぶ中に記念館はありません。旅館街のすぐ裏手にある小高い山の中腹に記念館はひっそりとあります。温泉街の中に目立った案内看板などもありませんので、ちょっと判りにくいかもしれませんが、オープンするにあたって地元新聞などメディアにも取り上げられたので、温泉街のなかで訊ねれば「その山の中腹にあるけど…」と教えてくれるでしょう。だいたいの場所がわかれば、道はそれほど多くありませんので、よっぽどの方向音痴でない限りたどり着けるハズです。さりげなく記念館前の路上に置かれた薄紫の看板が目印になっています。

最初、記念館オープンの情報をネットで知った時、いくら自宅の一部を改装してつくられた記念館という話しを聞いても、それでもなお「なぜこんな所に記念館なんだ?」と思わないわけでもなかったのが、これは実際に館に足を踏み入れ、館長からお話をうかがって、すぐに払拭されました。

世に「記念館」「資料館」などという名前のつく施設は数あれど、公共であったり、或いは法人組織運営のようなモノであったりするとどうしても来館者の利便性であったり、来館者数をみこしての設立を念頭につくられるものといったモノが多かったりして、ついそういった施設と同じような感覚でとらえてしまって違和感を感じざるを得なかったのだが、この『湯村の社 竹中英太郎記念館』は、そういったモノとは違って、プライベート美術館といった赴きの濃い記念館であり、そういった意味で言えば、逆に「ここでなければいけない場所」にあるのだということが、館長からのお話をうかがって納得することができます。山の中腹(と言ってもたかだか5、60m程度登るだけですが)にあるというのも、元々がアトリエがあった場所を改装したからで、

「アトリエだった頃は山の斜面側は一面窓になっていて、昔は高い建物なんかもなかったからその窓から見える御坂山脈の山並や、その向こうに見える富士山なんかの風景も父は好きだったんですよ」

といった話しをうかがえば、なるほどなぁ…と思わざるを得ないところでしょう。

…ありゃ、こんな逸話までこんなところで紹介しちゃって良いのかな…。こんなところで予備知識として知ってもらうよりも、実際に行ってお話聞いた方が何倍もリアル感を味わえるに違い無いから、ここではあまり詳細まで話すことを手控えることにしよう。


記念館の門構。奥に見えるのが記念館です。
左手の石組みや門から入り口への通路にも
竹中英太郎の息吹きを感じることができます。
 

こちらが記念館入り口。
こちらで備え付けのスリッパに履き替えて
左の扉から中へ入ります。

画像をお見せできるは、ウチの紹介頁ではここまでです。
竹中英太郎作品の画像や、館内の写真などを載せてココで見てもらうよりも、実際に行って見て、感じてもらったほうが遥かに受ける感動の度合いが違います(もっとも、画像を載せて紹介している所もあるようなので、そちらを見れば、だいたいの様子はうかがい知ることもできますが…)。

なんと言っても、展示されている作品だけでなく、記念館そのものからして竹中英太郎が直接手を触れていた場所を改装しているのだから、そのひとつひとつに関して館長さんからのお話をうかがいながら接することができることというのは、好きな人ならたまらないことでしょう。

と、先程から「館長からうかがえば」を連発してますが、竹中英太郎の娘さんであられる館長は休館日以外は毎日記念館で来館されるお客さんの対応をできるだけさせていただくということなので、よっぽどのことが無い限り(例えば何十組も一度にお客さんが連続して来館されるとか)、来館してお話をうかがいたいという姿勢でこちらがいれば、いろいろと絵に関するエピソードや逸話をお話を聞くことができます。
そういう面でも、この記念館が他の事務的な学芸員などが案内をしている資料館や記念館などと一線を画しているところかもしれません。
また、お話してくださる話しも、他の学芸員などの門切り型の「説明してやろう」的な口調とは違って、「お話させていただいてます」口調で接してくださるので、こちらがあまり予備知識を持っていなくても畏縮せずに済み、ゆったりと展示品を鑑賞することができます。

肝心の展示品ですが、まずなんと言っても一番の興味の的である戦前の乱歩・横溝作品を飾ったモノクロの挿絵原画が二階奥の一室に十数枚。ちょっと少ないような気もしますが、他にも所蔵しているものは沢山あるのですが、展示スペースの関係で、どうしてもこれしか一度に展示することができず、展示しているモノに関してはまた時間をおいて取り替えるとかして考えていきたいとのことでした。
このモノクロの原画も、よくぞまぁこれほど良い状態で残っていたものだと驚かざるを得ないほどキレイでした。
あ、それと、これはあまり大きな声では言えないことですが、一部の情報には、『鬼火』の原画も見ることができるというようなことが書かれているモノもあるようですが、これに関しては、ちょいと注釈をつける必要があります。
確かに『鬼火』の挿絵は展示されていますが、この『鬼火』に関してだけ言えば、原画ではなく複製です。
この辺の事情もここで語ってしまうより、直接記念館の方で聞いてもらった方が、他の話とあわせても意義があると判断しますので、やめておきます。

もちろん、モノクロの原画だけが展示されているわけではありません。
戦前のモノクロ挿絵での活躍の後、『鬼火』の挿絵を最後に一度筆を折り、再び息子竹中労の著作やプロデュース関連作に提供する為だけに再開した創作活動のなかから生み出された作品は、幻想的であるだけでなく、竹中英太郎という人物のこだわりなり、遊び心なりを如実に語っていてどれも大変素晴らしいです。
とりわけ興味深いのは、あるモノへのこだわりで、話しをうかがった時には大変驚かされました。
また、マレーネ・デートリッヒに関する話も大変素敵な話しです。
さらに、やはり息子竹中労が製作に加わり、1980年に東宝で公開された映画「戒厳令の夜」(原作 五木寛之)で使用されたという絵も展示されていて、その力強さに目を惹かされます。(かつて映画も見たことがあるハズなんだけど、当時はあまりそういうことに関心がなかったからあまり記憶にないんだよなぁ…。ビデオとか出てたのかなぁ?…調べて今度また行く時までにはもう一度映画を見てから行きたいものです)

いづれの絵も一点一点力強く魅力に溢れているのですが、こうしてまとまった形で展示されていること、そしてなによりもこれらの絵がこの場所にあるということが一段と絵の輝きを増しています。

やはり「あるべきところにある」という存在意義は、何にも増して素晴らしい感動を与えてくれ、他のどこにもマネのできない空間を生み出しています。単なる絵を集めて展示しているだけの美術館ではない、まさしく「記念館」の名前に恥じない素晴らしい空間がそこにあります。

他にも話したいことは沢山あるのですが、「やはりあるべきところにある」ものが素敵なように、話しをうかがうべき人から話しを聞く愉しみをそこなうのはどうかと思いますので、ほどほどのところにしておいた方がいいでしょう。

「多くの人に、何度も足を運んでもらえるような温かい雰囲気の美術館にしたい」
とマスコミの取材に語られた館長の言葉は間違い無くそのまま実践されています。

興味をお持ちの方は是非とも訪れてもらいたい、画集などからでは感じきれない竹中英太郎の息吹きを感じられる空間でした。

最後にこれはちょっとオマケ。
記念館ではお土産として、竹中英太郎の絵を絵葉書にしたものなども置いてますが、それよりもなによりも私を喜ばしてくれたのはいくつかの絵をラベルにしたワインも販売してくれていたこと。横溝ファンとしては、やはり絶対にはずせないところのコレは迷わず購入しちゃいました(笑)。なお、画像は、ラベルの状態がわかりやすいように、加工してあります。

 

湯村の社 竹中英太郎記念館

入館料 300円 
営業時間 10:00〜16:00 火・水曜日定休
山梨県甲府市湯村3−9−1 
電話 055−252−5560

 

本文中、本当に心苦しいのですが敬称略させていただきました。

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横溝正史エンサイクロペディア

山梨県 湯村温泉郷

山梨県観光物産連盟

 

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