お付き合い頂きましてありがとうございます。
それでは、改めまして本題に移らさせて頂きます。
と、例によって持って回ったような大袈裟なだけのタイトルを掲げてみたりしながら、
いよいよ…と言うか、ようやく本題に入るわけだったりします。
しかしながら、横溝正史作品においての『蝋人形趣味』について考証してみるとか、
或いは、横溝正史がその『蝋人形趣味』に至る経緯として影響を受けたであろう作品などを振り返ってみたり、
そういった作品との関係を検証するなどといった高尚なことをしようなどということも無論なく、
ましてや、パロディとして使ったタイトルの元ネタであるSF小説ばりに、
本当に蝋人形が夢を見るのかなどということを考察するようなページじゃぁありません。
そりゃそうです。なんたって、ここは 『襟裳屋』 なんですから。
いくつもの横溝正史作品に登場する『蝋人形』なる存在。
この『蝋人形』についてちょっと思いを馳せてみようかというだけのページであります。
今回、横溝正史作品の中にみることのできる『蝋人形』について
ひとあたり見てまわってみた中で、面白いことに気がつきました。
最初、『吸血蛾』には、「模型人形(マヌカン) 」という言葉がでてくるものの、
さすがに、「蝋人形」はでてこないかな…と思ってました。
というのも、「模型人形」と「蝋人形」は別のものと考えていたからです。
しかし、途中に、「蝋人形」という言葉もでてきたので、該当作品の仲間入りすることになったのでした。
「蝋人形」と「マヌカン(当節風に書くならば「マネキン」ですので、以下「マネキン」とします)」は、
似て非成るものであり、極端なことを言えば、時代の移り変わりのなかで「マネキン」が普及していったことにより、
「蝋人形」は我々の前から姿を消していったと言えなくもありません。
つまり、その工業製品としての生産性や維持管理、コストといった面から、
「マネキン」は「蝋人形」とくらべると比較的御手軽な商品としてもてはやされ、
それまで「蝋人形」が担っていた役割さえも「マネキン」に取って変わられるようになり、
「蝋人形」は時代の表舞台から姿を消していってしまったのではないでしょうか。
これは、横溝正史作品自体の持つ浪漫主義的雰囲気が、
「推理小説」の台頭によって一時期もてはやされなくなってしまった経緯と似ているように思えます。
それでは、「蝋人形」と「マネキン」の違いは何なのか。
これは明白です。
「マネキン」はその語源からして明確に言い表わしているように、
フランス語の「mannequin」の英語読みであるところの「マネキン」からきており、
つまりは、洋服、化粧品などの宣伝、販売している人やモデルから転じて
服飾の宣伝人形を一般的に「マネキン」と言っているのですから、
「マネキン」の役割は、あくまでも洋服などを宣伝するための媒体であるもの、
言い換えるなら、「マネキン」と服飾は常に一対であり、
「マネキン」はその「服飾」よりも際立ってしまってもいけない傍役的役割をあたえられているものと言えるのです。
これは、現代の「マネキン」の多くが、完全な人型をしているものよりも、
頭部や腕、足までもない、単なる衣類の展示台としての形状をしているモノの方が多いことからも伺い知ることができます。
対して「蝋人形」は、人形としての人の代用的意味合いが強いものの、
その存在は決して単なる代用というようなモノでは無く、その存在そのモノが意味を持つものであり、
その形、より人間に近いものであるということこそが命なのです。
服飾に対して副の存在であることをよぎなくされている「マネキン」と、
その存在そのものが主である「蝋人形」の違いは歴然です。
もちろん、「吸血蛾」で語られているところの「蝋製のマヌカン」というような
その二つが時代的に同調していたこともあったのかもしれませんが、
「蝋人形」は単に「蝋」で作られただけという材質だけの存在として捉えるべきものではないと思いますので、
この「吸血蛾」においても、最初登場する「模型人形(マヌカン)」と、途中から持ち込まれた「蝋人形」という表現の間には
横溝正史の文章中には語られていない想いの違いが込められているのではないかとすら思えます。
と、書いてみましたが、これは決して「蝋人形」と「マネキン」の違いを
どちらが上でどちらが下であるというような位置付けをしようということではありません。
別物であるということを強調したかっただけです。
欠田 誠 著 『 マネキン 美しい人体の物語 』 2002年 晶文社刊
に語られている日本におけるマネキン製作の歴史や苦労談はとても興味深く、
ただ「マネキン」として日頃なんとなく見てしまっているものに対しても、
改めて「ふ〜ん、いろいろとあったのだなぁ」と考えさせられてみたりします。
そういう意味でも、これらに甲乙つけられるものではなく、
良く似たものであっても、あくまでも別のモノであるという認識を強く感じさせてくれます。
「マネキン」について思いを馳せるページではないので、「蝋人形」に話を戻します。
「マネキン」の日本における製作の歴史について触れたついでに、
「蝋人形」が日本に登場した歴史について調べてみたいと考えたのですが、
これが、全然わからないのです。
元々、「蝋人形」は「見世物」としてその存在を主張してきたのですが、
これを遡ると、横溝正史の作品中にも時折登場する「生き人形(あるいは『活き人形』)」と言われるモノがあり、
この「生き人形」は江戸時代にまで歴史的に遡ってみることができるのですが、
この「生き人形」の多くは木彫りのものであり、
いつ頃からその材質として「蝋」が用いられるようになったのかとなると、
全く手掛かりがなくなってしまいます。
あるいは、日本よりも遥かに「蝋人形」の存在が認知されているヨーロッパから
明治時代もしくは江戸末期以降輸入されて来た技術なのかもしれません。
ヨーロッパを始めとして、海外では日本に比べて今もって「蝋人形」は見世物として存在を認められています。
ロンドン・アムステルダム・ニューヨーク・ラスヴェガス・香港と世界各地に「蝋人形館」を持つ
Madame Tussaud(マダム・タッソー)の蝋人形館は、その代表といえるでしょう。
少し前に、日本のニュース番組でもマダム・タッソ−蝋人形館に女優のジェニファー・ロペスの蝋人形が登場したとか、
或いはサッカーのベッカムの蝋人形がどこぞにお目見えしたというような話しがニュースで取り上げられたくらいです。
このマダム・タッソ−という方、1762年の生まれだそうで、
受け売りのプロフィールをご紹介すると、
フランスのストラスブール生まれ。幼名をマリ−・グロショルツといった。
生まれる前に父と死別したため、家政婦であった母親と共にドクター・F・カーチス家に住み込むことになり、
このドクター・カーチスという人がドイツ生まれの蝋人形作家でもあり、1770年にパリで蝋人形館を開設して成功させた方だったそうです。
こうした環境の中成長したマリ−は、そのままドクター・カーチスに師事し、蝋人形芸術の技術を身に付ける一方、
ルイ16世の妹の芸術面での家庭教師となり、9年間ベルサイユ宮殿で過したそうです。
フランス革命(1789年)が起きると、
ギロチンで処刑された王侯貴族などの首を見せしめに晒す為、本物の首だと腐敗してしまうからということから
その打ち落とされた首の蝋人形を作ることを、彼女自信の処刑赦免と引き換えに命じられたそうです。
その後、カーチスの死後その蝋人形館を受け継ぎ、F・タッソ−と結婚。
革命後の混乱したパリでの蝋人形館の運営も難しく、1802年夫とも別れてロンドンへ移住。
集会所などでの蝋人形興行を続け、やがてロンドンにて常設館の設立に至り、1850年に生涯を終えたそうです。
…フランス革命…。…ルイ16世…。…ベルサイユ宮殿。
それ以前にすでに蝋人形というものは見世物として確立されていたというのも凄い話です。
こう、学生時代に歴史の時間で習ったことなどの時代背景まで持ち出してみると、
「蝋人形」もなかなかどうして芸術的な存在と思えなくこともないように思えます。
しかし、現在の日本においては、「蝋人形」というものも簡単に目にすることもできなくなり、
一部の人たちによる、あまりにもマニアックな『作品』のような扱いを受けているように思えます。
『蝋人形』が「秘宝館に展示されているいかがわしい人形」だとか、
変質的性玩具的見識だとかといった片寄った認識だけでしかとらえられてないとしたら、
これは日本人の文化意識すら問われることになってもおかしく無いと感じます。
ましてや、『蝋』製でもない、ただの等身大人形を「蝋人形」と言ってみたりするのも間違いですし、
そういった間違いを間違いと認識できない人ほど、さして出来のよくない「マネキン人形もどき」を見ただけで
「うわぁ〜、まるで人間みたいな蝋人形だね」などという恥ずかしいことを平気で口にできたりしてしまうのはあまりにも悲しいことです。
人形(ひとがた)であることだけを問題にするなら、
展示するのに、マネキン同様にプラスチック系の素材の方が展示環境の面などから考えても問題は少ないですし、
より人肌に近いものを望むなら、ハリウッド映画の技術の例を持ち出すまでもなくゴムやラテックス、シリコン系の素材を使った方がいいかもしれません。
時代を遡れば木彫りの生き人形というものもありますし、
「人形」ということで考えれば、ビスクド−ルのような焼きモノや、布などを使ったモノだってあります。
しかし、そこを敢えて『蝋』にこだわるところに「蝋人形」の価値を考えてみる必要があるのではないでしょうか。
もっとも、そういったの認識の方の言葉をマに受けて、
よく確かめもせず、ホイホイとその「偽蝋人形」を確認しに行ってしまうような“うつけ者”でしかない私に、
このような大層な意見を述べる資格があるのかどうかわかりませんが。
と、これほどまでグダグダと書き連ねてきて、一体何が言いたいのかというと、
単純に、
『 今の日本で「蝋人形」をちゃんと見ることができるのは何処にあるのだろう?』
ということを改めて確認したかっただけだったりするのです。
一応、襟裳屋調べによるところでは、以下の場所では「蝋人形」を見ることができるようです。
なお、私は全ての館を見ているわけではありませんので、コメント等は資料からの引用を含みます。
東京タワー 東京タワービル蝋人形館 東京都港区芝公園4丁目2-8 | |||
入館料:大人 870円 | 営業時間:10時〜21時 | 休業日:年中無休 | |
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蝋人形美術館&メキシコ館 静岡県伊東市池674−1 | |||
入館料:大人 1000円 | 営業時間:9時〜17時 | 休業日:年中無休 | |
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夢館 奥州藤原歴史物語 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関13番地1 | |||
入館料:大人 1050円 | 営業時間:9時〜16時30分(夏期〜17時) | 休業日:年中無休 | |
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吉田松陰歴史館 山口県萩市椿東松本1537 | |||
入館料:大人 650円 | 営業時間:9時〜17時 | 休業日:年中無休 | |
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高知県立坂本龍馬記念館 高知県高知市浦戸城山830 | |||
入館料:大人 400円 | 営業時間:9時〜17時(最終入館16:30) | 休業日:年末年始以外年中無休 | |
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高松 平家物語歴史館 香川県高松市朝日町3丁目6番38号 | |||
入館料:大人 1200円 | 営業時間:9時〜17時30分 | 休業日:年中無休 | |
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福山自動車時計博物館 広島県福山市北吉津町3-1-22 | |||
入館料:大人 900円 | 営業時間:9時〜18時 | 休業日:年中無休 | |
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日向神話館 宮崎県宮崎市青島2-13-1 青島神社境内 | |||
入館料:大人 600円 | 営業時間:8時〜17時(夏期〜18時) | 休業日:年中無休 | |
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◆ 秘宝館 ◆
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これらの一覧はあくまでも一個人の知るところによるモノだけですので、
この他にも優れた蝋人形に出会えることができる所があるかもしれません。
情報ご存じの方、よろしければこちらもしくは掲示板まで御一報下さい。
さて、冒頭に「蝋人形」と「マネキン」について触れてみましたが、
もう一つ、「蝋人形」の『見世物』としての存在を追いやったものがあります。
それは言うまでも無く、テレビです。
昭和28年のNHKと日本テレビの放送開始以来、
『見世物』は手軽に家庭の中において見ることができるようになってしまい、
昭和33年に、東京のシンボルとまで言われた東京タワーが
テレビ放送電波を含む電波塔として本格的に営業開始するようになり、
テレビがマスメディアへの道をひた走るようになると、
「蝋人形」や「映画」などといった『見世物』は
斜陽の坂を転がり降りることとなってしまったのは間違いありません。
テレビのなかった時代、
『見世物』として花形だった「蝋人形」は
総天然色の夢をみることはあったのでしょうか。
東京タワーの足下に「蝋人形館」がひっそりとあるというのも、どこか皮肉めいて見えます。
横溝正史作品から「蝋人形」が姿を見せなくなるのも
前出した初出誌の記載を見返すまでもなくこの時期からです。
しかし、まだ「蝋人形」は絶滅したわけではありません。
河野十吉や黒田亀吉の息遣いと技術は
他の華やかな『見世物』の影に押しやられながらも
今も受け継がれているのです。
いま一度、改めてじっくりと「蝋人形」の妖しい世界を垣間見てみるというのはいかがでしょうか。
◎ 参 考 ◎
蝋人形
日本における蝋人形創りの第一人者 松崎覚氏の蝋人形工房「蝋プロ」のHP。
前出した蝋人形館の多くが撮影禁止であったりするが、
こちらの工房で創られた作品も多く、こちらでは画像を見ることができます。
Madame
Tussauds International
世界五ケ所のマダム・タッソ−蝋人形館のHPへの入り口。
日本語サポートはありません。
活人形師 松本喜三郎
江戸末期から明治にかけ活人形創りの名人といわれた松本喜三郎とその作品の紹介、
松本喜三郎の作品保全などをされている関連団体のHP。
株式会社 七彩
京都の老舗マネキン製造会社のHP。
日本におけるマネキンの歴史を始め、
様々なマネキンについての情報なども発信している。
LB
中洲通信
九州は博多の繁華街・中洲でクラブを経営するママさんが発行人を務める
ユニークな雑誌のHP。
2000年1月号に「蝋人形」の特集あり。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
● 別冊太陽 日本のこころ123 『見世物はおもしろい』 2003年6月 平凡社 刊