(二)

 バカバカしいと感じながらも、自宅に帰ると押し入れの奥から、何年もしまいっぱなしだった『悪魔の手毬唄』を探し出して、読み返したのは、あの由里子の遠くを見るような眼差しが胸に残り、由里子が話してくれようとしていた話しを聞いてやれなかったという罪悪感のようなものが働いたからかもしれない。
 由里子との出会いも、ある意味、由里子のあの眼差しがあったからともいえる。
 少し話しが戻るが、やはり由里子との出会いのことも話しておいた方が良いかもしれない。
 山梨県のほぼ中央、東京方面から行くと甲府の少し手前に石和温泉というところがある。
 江戸時代には甲州街道の石和宿として、それ以前はやはり武田信玄縁りの地として古くから歴史に名を残している所である。主な産業といえば近在の甲府・勝沼といった土地柄と同様に果実栽培と山から掘り出された水晶などの鉱石加工などが主なところであったのが、昭和三十六年になって、ある保養所の飲料用地下水の確保を目的としてボーリングをしていたところ高温の温泉が噴き出して温泉地として開けるようになり、以来、当時の高度成長期の世情や東京から程近いこともあったためホテルなどの企業資本も入り、歓楽温泉地として知られるようになっていった。しかし、熱海や草津などといった古くから名の知れた温泉場とちがって、まだ温泉地としての歴史も知名度もそう高くなく、周辺の葡萄や桃の収穫期の光景以外にこれといって名物になるようなものもない温泉場であるが故、平成の世になり不況の声を聞くとその温泉観光地としての一時の盛況ぶりもすっかり影を潜め、これからの方針を模索しているといったような温泉地である。
 由里子はそんな石和温泉近くの或る役場に勤めながら、週末だけ石和温泉の中にある小さなスナックでアルバイトとして働いていた。
 私の友人に T という小さな出版関係の会社に務めている男がいるのだが、この T が会社の慰安旅行で石和温泉に行った際、ホテルでの宴会の流れで、コンパニオンに連れて行かれるままに由里子の働いているスナックに行ったのだそうである。
 一時期 T は、私の従姉妹と同じ会社にいたことがあったので私の従姉妹をよく知っていて、その従姉妹というのが、やはり時折由里子が見せるような、どこか遠くを見るような、心ここにあらずといった様子をよく見せていたので、そんなところから由里子と私の従姉妹が似ているように見え、かなり印象に残ったのだそうである。
 そんなことから、その後私と会った T が、「そういえば、この間面白いコがいる店に言って来たよ…」と私に由里子のことを教えてくれ、信州の方へ用事があった帰りに、その話しを思い出した私が興味本位で立ち寄ってみたというのが、私が由里子のいるスナックに足を踏み入れた最初であった。
 実際に会った由里子は、T がいうほど私の従姉妹と似ているわけでもなかったが、正直なところ言葉は良くないが、所詮石和温泉などという薄ら寂れた温泉場の小さなスナックで働いている女だろうといったくらいの漠然とした私の貧相でありきたりな想像を遥かに凌駕する美しさとその気さくで朗らかな性格は私をおおいに驚かせ、また十分に惹き付けるだけの魅力をもっていた。いや、それだけではない。それだけのことであれば、おそらくはその時限りで、果たしてまた由里子と会う為だけに山梨県まで行くようなことなどしなかったであろう。
 由里子は実に博識で頭も良く、客のどんな話題にもユーモアを交えて対応し、その対応にも知識をひけらかすようなところはなく、客それぞれにあわせた話し方を自然と使いわけているのであった。接客業のプロとしてこういった水商売で働く女性もまんざら他に知らないわけでもなかったが、他に仕事を持ちながらアルバイトとして週に何日か手伝っているだけにしては、下手なプロより余程堂に入った感性細やかな接客ぶりであった。それでいて決して客を前にしては見せないのだが、酔った客との話しから話しへ席を移るホンのわずかな瞬間に時折浮かべる、あのどこか遠くを見ているような、心ここにあらずといった眼差しが強く私の興味を掻き立てて仕方なかった。
 男と女の恋愛感情といったものよりも、まずそういった由里子の個性に興味を感じ、この女はどういう女なのだろうという好奇心から、もっとこの女のことを知ってみたいと思うようになり、知れば知る程興味は高じるばかりとなって一人の女性としても好意を抱かずにはいられなくなっていった。
 こうして月に数度、私は週末を横浜から山梨まで出掛けて行って過すようにになったのである。
 由里子の働くスナックは温泉場の繁華街のはずれにあり、T のようにホテルの宴会から流れて来る二次会・三次会といった客が頻繁にやってくるというような店ではなく、ましてや一頃石和温泉の歓楽温泉地としての代名詞とも囁かれていたような色事有りといった店でもない。経営者であるママの気取らない性格もあってか温泉場で働く人が仕事の終った後に顔を出すといった馴染みの地元客がほとんどといった店だった。
 そういう処へ月数度とはいえわざわざ通ってくる変わり者の男に、常連客の人達も最初は珍しがったり不審がる人などもいたが、何度と店で顔を合わしているうちに次第と打ち解けて話し掛けてくれるようにもなった。
 由里子に会うためだけでなく、そういった常連の人たちともバカな話しをして楽しめるようになったのも山梨へ通うだけの理由のひとつにもなっていった。
 由里子もそんな私に対して、最初こそ驚くというより呆れていたようですらあったが、そのうち他の地元常連客と同じように受け入れてくれるようになり、電話番号とメールアドレスを教えあうと、ちょくちょく連絡をくれるようにもなった。私の中で次第に好意が大きくなっていることも感じ取ってくれていたし、由里子も私に好意をもっているともメールで書いてよこしてくれたり、店を離れて連絡をとっているうちに私が少し時間の余裕があって早くから山梨に行くことができた時などは食事をいっしょにするようにもなった。
 こう書いてみると、どこにでもある普通の呑み屋のホステスと客と変わらない関係ではないかと思う向きもあるだろうが、ある時、店のママに「淳人は遊び慣れてるかもしれないけど、ユリはああ見えて真面目な子だから、他のお客さんとどこかへ遊びに行くことなんてこれまで一度だってなかったし、中途半端な遊びのつもりで付き合うならよしてよ」と由里子のいないところで釘をさされたところをみると、ただの客とホステスの関係ではなくなりつつありそうだとおおいに喜びつつも、このママという人がやはり良い人なだけに余計な心配をかけたくないものだと心苦しく思ったりもした。
 由里子は、店ではママや他のお客の手前決して私とだけ時間を過すようなことはせず、私を特別扱いせずにいた。もちろん私もそんな由里子の気持ちも理解できたので変に馴れ馴れしい態度をしないように努め、それまで同様に他の常連客とも楽しく騒いでいた。
 そうこうして三ヶ月が経ち、いつものように閉店まで呑んでいたのだが、私の他にもう一人常連の客が残っていたのだが、この客が酔っぱらいすぎた為にママが送っていくことになり、由里子と二人残された時、由里子が「今日も急いで帰らないといけないの?」と声をかけてくれた…というのが前章へのおおよその経緯である。
 本筋から離れた話しが長くなってしまったが、由里子との関係はこういったものだった。
 これまでそれなりに恋愛もしてきたし、スナックのママが思っているほど遊び慣れていると自惚れてはいないつもりだが、それでもそこそこ男と女の関係も知ってきたつもりだったので、由里子とのことも自然に任せて考え過ぎずにいようと思い始めていた時の一夜であったまでは良かったのだが、その朝が明けたかと思う間も無くの『悪魔の手毬唄』だったので、おおいに面食らい、自分で理解出来る範疇を超えることであったために対応を拒絶してしまったかのような態度をとったことに恥じ入るような思いでもあった。
 それで押し入れから『悪魔の手毬唄』を探し出して読み返してみたのだが、再読のせいだけではなく、歳を取って少しは学生の頃よりいろいろなことを学んだこともあってか、前に読んだ時より楽しく読めたことに驚かされた。漠然としたあいまいな記憶だけであった『悪魔の手毬唄』が、横溝正史の流れるような文章とその表現によって少しずつ明確なイメージとして埋められていくことが快感となり、二日間没頭するようにして読み終えると、今度は由里子の言わんとした“事件の結末”に関して、果たしてあの由里子の視線に結び付くような何かがあるものなのだろうかと、時には何度も頁を行きつ戻りつしながら時間をかけてゆっくりと読み返してみた。
 読み返しているうちに確かに気になるところはいくつかあったし、朧げにあの『推理へのクレーム』本のことも、「確かこんなところを突いて疑問が残る…とか言ってような気がするなぁ…」と、思い出したりもしたのだが、だからと言って事件の解明がおかしいのではないかと断じるほどのものまでは見つけることはできなかった。それよりもなぜあの時『悪魔の手毬唄』にあれほど由里子が固執しようかとしていたのかという妙な疑問がふつふつと胸の中に沸き上がってくる思いを感じ始めていた。


《《《 ELIMOYA TOP
INDEX
BACK
NEXT