今週の荘子(2002.3.18-3.24)

 
夢飮酒者、旦而哭泣、
夢哭泣者、旦而田獵。
方其夢也、不知其夢也。
夢之中又占其夢焉、
覺而後知其夢也。
且有大覺而後知此大夢也。
而愚者自以爲覺、
竊竊然知之。
君乎牧乎。
固哉。
丘也與汝皆夢也。
予謂汝夢亦夢也。
(斎物論篇)
 
夢に酒を飮みし者は、旦にして哭泣し、
夢に哭泣せし者は、旦にして田獵(でんりょう)す。
其の夢みるに方(あた)りては、
其の夢なるを知らざるなり。
夢の中に又其の夢を占い、
覺めて後に其の夢なるを知る。
且つ大覺有りて而る後に此の大夢なるを知る。
而るに愚者は自ら以って覺めたりと爲し、
竊竊然(せつせつぜん)として之を知るとす。
君といい牧という。
固なるかな。
丘や汝と皆夢なり。
予の汝を夢と謂うも亦夢なり。
 
 
夢の中で酒を飲んで楽しい気分になっていた者が、
朝になれば、急に泣き出したり、
夢の中で、泣いていた者が、
朝になればけろっとして、狩りに出かけたりすることがある。
その理由は、夢の中では、それが夢とは気づかないからだ。
夢の中で夢占いをし、目覚めてからそれが夢だとわかる。
つまり、大きな目覚めがあった後に、それが大きな夢で
あったことに気づくのである。
しかし愚かな人間は、自分は目が覚めていると自惚れ、
こざかしくも夢であると気づいているという。
そして、人を君主だとか牧人とか言って区別する。
頭の固い奴らよ。
孔子も、教えを聞くあんたも夢を見ているのだ。
あんたを夢を見ていると言っているこの私も、
夢を見ている。
 

 

人生を夢と考えるのは、荘子ならずとも昔からよく言われる

ことである。

夢の中にいるから、それが夢とは気づかない。

夢の中では、精神が自由に羽ばたく。

常識が行動を阻むことがない。

高いところから飛び降りても、いつの間にか羽根が生えて

空を飛んでいる。

夢の世界で思い悩んでも仕方ないことである。

これを現実と考えると、もっと楽しく生きられるのではないか?

夢であることを自覚するには、大きな目覚めがないといけない

という。 これは観念世界の自覚ではない。

感覚界での宗教的な体験とでもいうべきものだろう。

ただ目覚めがあったとしても、夢はさらに大きく膨らみ、夢の

世界に引き込まれていく。

 

「夢を実現しよう」と言われることがある。

今が夢としたら、夢は既に実現しているといえる。

自分の人生を考えてみると、今の自分は過去の自分が夢みた

形をある程度実現している。

人間は夢を見ながら夢を実現しているのではないか。

大きな夢にするか小さな夢にするかは、夢にどれだけ打ち込めるか

で違ってくるのだろう。

人間の脳には夢の素材が沢山入っている。

夢と現実の不分離性をうまく利用すれば、冥界の人と話すこともできるし、

論理でたどり着けなかった解決策を思いつく場合もあろう。

 

 
注:
☆竊竊然
小ざかしい様子。
知ったかぶりをしている。
 
孔丘。孔子のこと。
 

 

記:有無相生